日付 | 4月30日(金夜)~5月3日(月) |
登った山 | 蝶ヶ岳 |
天候 | 晴れ |
参加人数 | 3名 |
ルート | 平湯アカンダ駐車場~上高地~徳沢園~長塀山~蝶ヶ岳山頂~蝶ヶ岳ヒュッテ(泊) ~横尾~上高地~平湯アカンダ駐車場 |
午前1時過ぎに高山市市営のアカンダ駐車場に到着。N氏と私はシェルターで、T嬢はワンボックス車の特設ベッドで僅かの時間だったが仮眠をとり、N氏と私は4時半に起床。私は何時も通り先ずは紫煙を燻らせ頭の中の靄を払ってからシェルターを撤収するも、車内のT嬢は起きている気配はなし。夜明け迄の時間が余にも短過ぎたのかそれとも暖かなシュラフに包まれて寝心地が余程良かったのか、行き交う車の騒音にも気付かず白河夜船。無理やり起こすのは忍びなかったが彼女が起き上がるまで何度も車の窓ガラスをノック。朝の挨拶もそこそこに出発準備を済ませ駐車場のバス停へ出発。
平湯温泉アカンダ駐車場発の上高地行き濃飛バスの車中で朝食を済ませ、6時25分に上高地バスターミナルを出発。3人共足取りは軽く予定よりも早く徳沢園に到着。標高1700m付近から一度アイゼンを装着するも直ぐに土道になったのでアイゼンを外し暫しの登高、1900m辺りより再度着装。前日まで寒気団が南下して冷え込んで居たので5月ではありながら腐れ雪にも成らず締まった雪の樹林帯を心地よいアイゼン歩行が楽しめ、やがて樹林帯がぽっかり開け振り返れば穂高の峰々が眼前に飛び込んで来る所に到着。穂高の眺望を心行くまで堪能し又歩を進めた。
徳沢園迄の歩行ペースが私には少し早過ぎた事と睡眠不足による疲労の症状が現れ、何とか若い二人に着いて行くも15分も歩けば立ち休憩、30分の登高で休憩とだんだんスローペースに成りながら14時10分に長塀山に予定より少し遅れて到着。天候に恵まれ有る所では眺望を楽しみ、又写真を撮りながら気分を癒しつつ疲労した体には鞭を打ちながら蝶ヶ岳の頂に立った。
大キレットに沈む夕日を暫し眺めてから小屋に入り、乾燥室を兼用した休憩室で暖をとり、体が温まった所で牢名主宜しく缶ビールで乾杯。空きっ腹に沁み渡った事は云うまでもなし。ほろ酔い気分で夕食をとり、食後は睡眠不足と疲労による眠気に勝てず周りの雑音も何のその私は消灯迄に高いびきの世界に入って行った。
4時半に起床し例の目覚まし行事の為に外へ出て見ると、アマチュアカメラマン達が日の出までの小1時間も前から東に向かって三脚を立て望遠レンズの砲列を作り寒さに震えていた。私は小屋に戻り、出発準備を終えてからご来光とモルゲンロートのタイミングを計り外に出て撮影後は直ぐに食堂の前に陣取り1番に朝食を済ませた。
6時半に小屋を出発。梓川の向こうに聳える乗鞍、穂高連峰から槍、北鎌尾根、東鎌そして表銀座への山並みを眺めながら瞑想の丘を乗り越え蝶槍とのコルへ。紫煙を燻らせながら稜線上からの槍、穂高を見収め樹林帯の中へ。横尾から殆んど空荷で登って来る人やアイゼンも装着せずに登って来る人、又テント泊縦走なのか大きなザックのパーティ等とすれ違い、ひたすら樹林帯の中を降った。
徳沢園からの登りの時にも樹林が開けて穂高の展望の良い所が在ったが、横尾への降りにも槍見台と云う開けた所が在り中腹からの槍ヶ岳を堪能、そこから少し下った所ではカモシカと出会い、又少し降った所では樹間の向こうに聳え立った屏風岩が目を楽しませてくれた。
夏道、冬道が交差するなか人の踏み跡を信じて下山して居たのが間違いの元で、降るに従い踏み跡が細りだした。ルートを間違えた事に気付きN氏、T嬢は山のセオリー通りに引き返されたが、私は地形を見て踏み跡が消える所まで降り地図で現在位置を確認し、引き返すのも面倒なので呼子で合図を送ってから少し下降気味にルートの方へトラバースして時々呼子を吹きながら待っていると、T嬢が私を確認出来る所まで降りて来て私に合図を送ってくださったので私はそのままトラバース気味に降りルートに合流。暫く待つも中々お二人が下山して来ないので登って来たパーティに二人の容貌を伝え、一目で判る風貌の親爺が下で待って居るからと伝言を頼み、待って居ると数人の下山者達の後から暫くして降りて来るのを確認。事情を聴くと彼らより先に降って来た人達を誘導し、後続者達が迷わぬ様に踏み跡に枯れ木でバリケードを作ってから下山して来たとの事でした。此れには脱帽。
ルートを外れて余分な時間を費やしたが、予定通りの所要時間で横尾迄下山。横尾からのロケーションは又格別で梓川の清流の囁きを聞き、又眺めながら時に明神岳から連なる前穂そして北尾根の岩稜を仰ぎ見つつ登山者や観光客の行き交う道を上高地へとひたすら歩み、予定通りの時間に帰路に着いたが、高速道路に乗る前の渋滞と高速道での渋滞で予定より可也遅れたので急遽N氏をJR草津駅で降ろし、千里中央に着いたのが午前0時10分と日付が変わっていた。